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青森地方裁判所 昭和37年(ワ)106号 判決 1963年5月07日

原告 檜川幸三郎

被告 信平多蔵

主文

被告は、原告に対し、金一二〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三七年五月一一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を原告、その余を被告の各負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告が金三〇、〇〇〇円の担保を供するとき、かりに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金三四一、〇一八円およびこれに対する昭和三七年五月一一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求める旨申し立て、

請求の原因として、

「一、被告は、食料品店と料理店業を営み、昭和三六年一月当時、その営業用に小型四輪乗用自動車青五す一九一五号(以下、単に本件自動車という。)を使用し、その運転者として訴外工藤正夫を雇つていたものである。

二、工藤は、同月一六日午前三時二〇分ごろ、本件自動車を運転して青森市から青森県南津軽郡浪岡町方面に向かい、青森市大字沖館字篠田一八一番地先国道路上を進行中、その車体前部を原告に追突させ、原告に対し、右大腿骨々折、顔面挫創等の傷害を負わせた。

三、原告は、受傷後、即日青森県立中央病院に入院し、加療につとめ、同年九月二九日に退院したが、完治をみるに至らず、大腿骨が変形し、右膝関節部が拘縮したために、右足はほとんど曲らなくなつた(最大屈曲度一二五度)。原告は、幼時に小児麻痺をわずらい、それ以来左足の自由がきかず、右足を頼りにして来たが、その右足も右のように不具となつたため、現在では、松葉杖二本を用いてようやく歩行ができるにすぎない状態となつた。

四、(一) このように、被告は、本件自動車の保有者であり、その運行によつて原告の身体を害したものであるから、自動車損害賠償保障法(以下、単に自賠法という。)第三条に基き、右傷害によつて原告に与えた損害を賠償すべき義務がある。

(二) なお、本件事故は、前叙のように被告の被用者たる工藤がその業務に従事中、次のような同人の過失に基因してひき起されたものであるから、原告は、第二次的に、使用者たる被告に対し、民法第七一五条によつて右損害の賠償を求める。すなわち、工藤は、本件自動車を運転し、前記道路上を時速約三五粁で西進中、前方約一五米の道路中央に、ひどく酩酊し、前後に揺れ動きながら、左方を向いて立つている原告の姿を認めた。このような場合、自動車を運転する者としては、前方を充分に注視し、原告の動向に応じていつでも直ちに停車しうるように徐行するか、あるいは、一時運転を中止して、酩酊している原告を道路端に避譲させるなど事故の発生を未然に防ぐ措置を講ずべき注意義務があるというべきである。それなのに、工藤は、同車が原告の左側を楽に通り抜けられるものと軽信し、時速約八粁に減速したのみで漫然と進行を続けたために、酩酊した原告が突然前のめりに倒れるのを認め、直ちに急ブレーキをかけたが、間に合わず、前叙のように追突事故を起すに至つたもので、これは、明らかに右注意義務違反による工藤の過失である。

五、原告がこうむつた損害額は、次のとおりである。

(一) 得べかりし利益の喪失

1 金三四、〇〇〇円

原告は、本件事故当時洋服店に勤め、洋服仕立職人として稼働し、毎月金九、〇〇〇円を下らない報酬を得、そのほかにも生活保護法による扶助料として毎月金三、〇〇〇円を受給し、毎月合計金一二、〇〇〇円以上の収入を得ていたところ、本件事故に会い、前叙のように入院し、退院後も昭和三六年末までは、全く右業務に従事できなかつたから、右の稼働報酬は皆無となり、その間の収入としては、別表<省略>(B)欄に記載の生活保護法による扶助料を受給したのみであつた。それ故、原告は、右期間中、同表(C)欄に記載のごとく合計金六七、五八四円以上の得べかりし利益を失い、同額の損害をこうむつたのであるが、本訴においては、その内額金三四、〇〇〇円を請求する。

2 金一〇七、〇一八円

また、原告は、前叙のように頼りとする右足に後遺症があるため、洋服仕立業に必要なミシン踏みを満足にできず、その結果、昭和三七年にはいつてからも、その稼働報酬が月間金二、〇〇〇円を上廻らないので、同年四月一日から月額金八、六五三円の扶助料を受給し、月間合計金一〇、六五三円以下の収入を得るのみとなつた。それ故、これを前叙事故当時の収入額から控除すれば、月間金一、三四七円以上の減収となるところ、原告は、昭和三七年四月一日現在満四一歳であつて、少くとも向後一〇年間前記の洋服仕立業に従事できるから、その間の右減収額の合計金一六一、六四〇円以上の損害をこうむつたものである。そこで、原告は、本訴において、右損害額より、いわゆるホフマン式計算法を用い、民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除した金額として金一〇七、〇一八円を一時に請求する。

(二) 慰藉料

原告は、本件受傷により前叙のような後遺症にも苦しめられ、精神上多大の苦痛をこうむつたが、これを金銭に見積れば、金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

六、よつて、原告は、被告に対し、右第五項の損害額合計金三四一、〇一八円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日たる昭和三七年五月一一日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴に及ぶ。」と陳述し

被告の抗弁事実を否認した。<証拠省略>

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、

答弁として、

請求原因第一項の事実中、被告が食料品店を営んでいることは、認めるが、その余の事実を否認する。本件自動車の保有者は、民法上の組合たる浪岡町料飲店組合であり、その運転者たる工藤も、右組合に雇われていた者であつて、被告は、同組合の組合長をしていたにすぎない。同第二項の事実は、認める。同第三項の事実は、知らない。同第四項の事実を否認する。同第五項の事実は、すべて知らない。」と答え、

抗弁として、

「一、かりに、被告が本件自動車の保有者であつたとしても、次にのべるように、工藤に過失はなく、原告の過失が原因となつて本件事故が発生したのである。すなわち、工藤は、前照灯を照らしながら本件事故現場にさしかかり、進路前方に原告が立ちどまつているのを認めたので、自己が運転する自動車を道路の左側に寄せて、原告との間隔を充分(至近距離となつた時でも約一米近く)に保ち、その動静に注意しつつ、時速を約七、八粁に減速して徐行するなど事故防止に必要な措置をとつていたが、これに反し、原告は、前叙のように左足が不具であり、そのため歩行不自由な身であつたのに、深夜泥酔して本件事故現場の路上をさまよい歩き、工藤の運転する自動車にも全然注意を払わず、突然その進行路上に倒れてくるなど、全く自殺的な行動に出たために、右自動車と衝突するに至つたものである。

二、かりに、工藤に過失があるとしても、原告にも右のとおり重大な過失があるので、この過失は、損害賠償額を算定する際に、充分に斟酌されなければならない。」と述べた。<証拠省略>

理由

(事故の発生)

原告主張の日時、場所において、訴外工藤正夫の運転する本件自動車が原告と衝突し、そのため、原告がその主張の傷害を受けたことは、当事者間に争いがない。

(自動車の保有者)

証人平野一男、工藤正夫の各証言および被告本人尋問の結果の一部とこれらによつて真正に成立したものと認める乙第一ないし八号証、第九号証の一ないし二五、成立に争いのない同第一〇号証に弁論の全趣旨を総合すれば、戦後、青森県南津軽郡浪岡町において、同町内の料理飲食店業者約四〇名余が集り、営業上各種の共通の便宜をはかることを目的として、「浪岡町料飲店組合」(以下、単に組合という。)と称する民法上の組合を結成したのであるが、被告もその組合員であり、組合長となつていたところ、組合は、昭和三五年一一月、組合員の店に来集する客を送迎するため、乗用自動車一台を購入することに決め、その手続の一切を被告に委任したので、これに基き、被告は、組合長として、訴外青森トヨタ自動車株式会社から本件自動車一台を購入し(ただし、月賦販売契約のため、本件事故当時には、同会社がその所有権を留保していたが、買主には、使用権が与えられていた。)、その運転者として訴外工藤を雇い入れ、組合の書記をしていた訴外平野一男に配車係を担当させ、その指図によつて、組合のために本件自動車を運行の用に供していたことを認めることができる。もつとも、甲第六、八号証、同第一五号証の一ないし三のうちには、被告個人名義を用いて、右自動車を買い受け、自動車損害賠償責任保険に加入の申込をしている旨の記載があるけれども、これは前掲採用の各証拠によれば、組合に法人格がないため、訴外会社の了解を得て、便宜上被告個人名義を利用したにすぎないものと認められるから、前叙認定の妨げとなるものではない。証人工藤喜一の証言と被告本人尋問の結果中、以上の認定に反する部分は、採用し難く、他にこの認定をくつがえし、被告個人が買主であると認めるに足りる証拠は、存しない。そうすると、本件自動車について、組合が自賠法にいわゆる保有者に該当することは、明らかであるが、右自動車の使用権は、組合財産として組合員の共有に属するものであるから(民法第六六八条)、組合員たる被告もまた、右自動車の保有者の一員であるといわなければならない。ところで、前掲採用の各人証の供述によると、工藤は、他のタクシー業者から依頼された客ではあるが、前叙配車係からの指図をうけ、これを本件自動車に乗せて運転し、青森市内に送り届け、その帰途、本件事故をひき起したことが認められるから、右事故は、組合のために右自動車を運行中、発生したものというべきである。そこで、次には、右事故に伴う被告の責任について、考察する。

(被告の責任)

被告は、本件自動車の保有者の一員であり、その自動車が組合のために運行中、本件事故の発生をみたこと右に判示のとおりであるが、このような場合には、共同不法行為に関する民法第七一九条の趣旨を推し及ぼして、被告は、同様に保有者の一員である他の組合員と共に、連帯して、被害者に対し、自賠法第三条による全額の損害賠償責任を負担するものというべきであり、かく解するのが、自賠法を貫く被害者保護の精神に叶い、相当であると考える。ただ、組合員個人としては、組合が保有者として負担する損害賠償債務につき、分割責任を負うにとどまるのではないかという疑問がおきてくるけれども、右のごとく交通事故により発生した組合の債務に関する場合には、普通の取引関係より生じた組合の債務におけるのとは相違して、債権発生当時、その権利者たる被害者が組合員の数、氏名、損失分担の割合等組合の内容をあらかじめ知りうべきものではないから、この場合の債権者は、取引関係における債権者よりも一層の保護を要するものというべきであつて、民法第六七五条の規定を適用すべきでないことは勿論、分割責任を肯定すべき限りでもないと解されるのである。

(免責の抗弁)

成立に争いのない甲第一一、一三号証の各一、二に証人工藤正夫の証言および原告本人尋問の結果を総合すれば、本件事故現場は、東西に走る幅員約七米の二級国道であるが、事故当時には、多量の積雪があり、これを除雪して道路の両側に積み上げてあつたために、有効幅員は約五米に減じ、しかも凍結した路面の中央には、幅約三〇糎、深さ約二五糎に及ぶ自動車のわだち二本が走つていて、道路の状況は、歩行者、車輌のいずれのためにも極めて悪くなつていたこと、原告は、その主張のように幼時から小児麻痺のため左足の自由がきかず、歩行不自由の身であつたのであるが、事故当日酒を飲み、泥酔状態のまま帰途につき、右現場に至り、そこの道路を南に横断の途中、道路の中央に立ちどまつて、前後に揺れ動いていたこと、そこへ、工藤は、本件自動車を運転して、東方から時速約三五粁で西進して来たのであるが、進路前方約一五米先に、前照灯に照らされて立ちどまつている原告の姿を認め、ひどく酔つているなと思いつつ、車を道路の左側に寄せ、時速を約二〇粁に減速して近づいたところ、原告は相変らず立ちどまつたままでいるので、そのまま右自動車を進行させても、原告の左側約一米弱のところを安全に通り抜けることができるものと考え、時速を更に約七、八粁におとして進行中、その進行路上に、突然、原告が酔のため前のめりに倒れて来たので、急ブレーキをかけたが、間に合わず、スリツプして本件事故の発生をみるに至つたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠は、ない。右の事実によれば、現場付近は、普通人でも歩行に困難な悪路であつたから、まして歩行不自由な身の原告としては、飲酒の酔をさましてから歩行すべきであつたのに、泥酔状態のまま右道路を横断しようとし、その結果、自ら自動車の進行路上に倒れ、本件事故をひき起したのであるから、原告に過失があることは、明らかである。しかし、一方、工藤は、右認定のごとく、深夜進行路上に、泥酔して立ちどまつている原告の姿に気付いたのであるから、そのような場合、運転者としては、泥酔者がいつどのような挙動に出るか判らないし、また同人を避けて、う回しようにも、右認定のように道路の有効幅員がせばめられていたために、同人との間隔はせいぜい一米ほどしかとれない状況にあつたので、一たん停車して、泥酔者を安全な場所に避譲させるか、あるいは、積雪が凍結している路面の状況にも思いを致し、泥酔者の動静に注意を払いつつ、いつでも直ちに停車し得るよう極端に減速して進行すべき注意義務があるというべく、それなのに、工藤は、右認定のようにこれを怠つて、車の運転を続け、本件事故を発生させたのであるから、工藤にも過失があるというべきである。

ところで、自動車の保有者が免責を得るためには、自賠法第三条但書に規定するすべての事由を主張、立証しなければならないと解すべきところ、この点に関する被告の抗弁一は、(一)右判示のように被害者の過失を認め得ても、運転者の無過失を認めることができず、また(二)自動車に構造上の欠陥や機能の障害がないことについて、なんらの主張、立証をもしていないから、採用の限りでないというべきである。

よつて、進んで、被告が賠償すべき原告の損害額について検討する。

(原告の損害額)

(一)  得べかりし利益の喪失

1  原告主張(一)1の損害額について

成立に争いのない甲第二、三号証に証人檜川裕子の証言および原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は、本件事故にあうまで、洋服店に勤め、洋服仕立職人として毎月金八、〇〇〇円ないし九、〇〇〇円の稼働報酬を得ていたところ、本件事故により負傷し、その主張のように昭和三六年一月一六日から同年九月二八日まで青森県立中央病院に入院していたため、その間の稼働報酬が皆無となつたことを認めることができるから、原告は、右期間中右のように失つた報酬の合計額に相当する損害をこうむったものである。ところで、原告は、この損害額より、生活保護法によつて受給する扶助料を自ら控除する計算方法をとつているが、同法による扶助料は、国の社会保障政策に基き、生活困窮者一般に支給されるもので、交通事故に伴う損害の補填を目的とするものではないと解されるから、原告自陳のごとく、右扶助料をもつて損害額から控除すべき筋合のものではないというべきである。そうすると、右認定の損害額が既に原告の請求額金三四、〇〇〇円を上廻ることは、計算上明らかなところであるから、その余の検討をするまでもなく、右原告の請求は、相当である。

2  同(一)2の損害額について

本件事故発生当時、原告が毎月金八、〇〇〇円を下らない稼働報酬を得ていたことは、前認定のとおりであるところ、前掲甲第三号証に証人檜川裕子の証言と原告本人尋問の結果の各一部および弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、前叙のように左足が不具だつたのに加え、本件受傷によつて、頼りとする右足にも、その主張のごとき回復し難い後遺症を負い、そのために、前記洋服仕立職に必要なミシン踏みを従前どおりにできなくなつた結果、昭和三七年一一月、一二月当時には、一月当り金四、〇〇〇円、それ以前の同年四月以降はもとより、その後においても、右金額を下廻る程度の稼働報酬しか得られなくなつたことを認めることができる。証人檜川裕子の証言と原告本人尋問の結果中右認定に反する各部分は、採用し難い。

それ故、原告は、昭和三七年四月一日以降月間金四、〇〇〇円以上のうべかりし利益を失い、同額の損害をこうむることになつたというべきであるが、同日当時、原告が満四一歳であつたことは、原告本人尋問の結果によつて明らかであり、同年令の男性が向後約二九年の平均余命を有することは、公知の事実であるから、原告は、その主張のように少くとも向後一〇年間洋服仕立職人として稼働可能であると推認することができる。かくて、原告は、右期間を通じ合計金四八〇、〇〇〇円以上の損害をこうむつたものであるが、今、この損害額より、年五分の場合による中間利息をホフマン式計算法を用いて控除すれば、計数上原告の請求額金一〇七、〇一八円を上廻ることは、明らかである(原告自陳のごとく生活保護法による扶助料を右損害額から控除すべきでないことは、前判示のとおりである。)から、右の請求も相当であることとなる。

(二)  慰藉料

以上に判示の原告が受けた傷害の部位、程度、後遺症の影響、原告の年令、職業等、諸般の状況を考慮すれば、右原告の受傷に伴う精神的苦痛に対する慰藉料は、金一〇〇、〇〇〇円と認定するのが相当というべきである。

(過失相殺)

以上の次第で、原告の損害額は、右(一)、(二)の合計金二四一、〇一八円となるが、本件事故の発生については、原告にも前認定どおりの過失があるから、被告が現実に賠償すべき損害額は、この過失を斟酌して、右(一)、(二)の各損害につき同率の減額をほどこし、その合計金一二〇、〇〇〇円と定めるのが相当である。

(結論)

よつて、その余の判断をするまでもなく、被告は、原告に対し、右損害賠償金一二〇、〇〇〇円およびこれに対する本件事故発生後である昭和三七年五月一一日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべく、原告の本訴請求は、右の限度で正当であるから、これを認容するが、その余は、失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のように判決する。

(裁判官 佐藤邦夫 小川昭二郎 小林啓二)

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